将軍の寵愛よりも「女性としての幸せ」を選んだ大奥の女性たち
「将軍」と「大奥」の生活⑫
■大奥では猫や狆が大人気?
将軍からお呼びのかからない御中﨟(ごちゅうろう)もいるが、彼女たちは陰で「お清(きよ)の方」などと、なかば笑いものにされることもあった。
ところが、そうした女中のなかにはペット好きが多く、江戸で珍しい狆(ちん)は大人気だったという。ペットのなかでも猫を飼う女中が多かったらしい。お腹の大きな猫のところには、産まれてくる子猫をもらおうと予約が殺到するほど。子猫をもらったあとには、その女中を接待したというから猫によって大奥での人脈が広がったのだろう。
大奥でもペットの流行があったようだし、食べ物では嫌われるものもあった。下等な食べ物のことを「以下物」と呼んでいる。たとえば鮪(まぐろ)、鰯(いわし)、秋刀魚(さんま)、ネギ、天麩羅(てんぷら)などの揚げ物も「以下物」といってばかにした。
樽柿(たるがき)をご存知だろうか。空いた酒樽に渋柿を詰め、樽に残ったアルコール分によって渋味を抜いた柿である。これも「以下物」といって嫌われていたが、13代将軍家定(いえさだ)の御台所(みだいどころ)、天璋院篤子(てんしょういんあつこ)はこれが好物でよく食べていたという。
■江戸を戦火から守った土御門藤子の和平交渉
ところで幕末の大奥を見ると、旧幕府軍と新政府軍とが江戸で一戦を交えるという危機が迫っていた。大奥の幹部たちも、なんとか江戸が焼け落ちるのを防ぎたいと必死になっていた。江戸城にいた篤姫(あつひめ/篤子)は朝廷へ使者を送り、戦いをやめるよう働きかける。
一方、14代将軍家茂(いえもち)の御台所である和宮(かずのみや)は上﨟御年寄(じょうろうおとしより)の土御門藤子(つちみかどふじこ)を名代として、東下中の鎮撫総督に自筆の書状など嘆願を届けさせた。
藤子一行には、中年寄など大奥女中が15人、御広敷から36人の武士が護衛として随行。これらが功を奏し、江戸での戦いは中止となった。
さまざまなドラマを生んだ大奥だが、最後にはこのような行動もあったのだ。
監修・文/安藤優一郎
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